昔の不良は、どこに行ったのか
#008
こんにちは。
高校で20年以上、英語教師をしているアナスイです。
今日は、昔の学校にいた「見える不良」はどこに行ったのか、という話をします。
教師になったばかりの頃、学校には、いわゆる「不良」のような生徒がいました。
見た目で分かる生徒もいました。
先生にあからさまに歯向かう生徒もいました。
今振り返ると、学校全体に少しピリピリした空気があったように思います。
もちろん、そういう生徒が多数派だったわけではありません。
でも、確かにいました。
そして、学校の中にも外にも、今とは違う緊張感がありました。
修学旅行前に確認していたこと
特に印象に残っているのが、修学旅行です。
当時は、修学旅行の前に旅行会社と打ち合わせをするとき、かなり細かく確認していたことがありました。
自分たちの学校以外に、同じ飛行機に乗る学校があるかどうかです。
もし他校の生徒が同じ便に乗る場合、その学校の生徒とはなるべく接触しないようにしてほしい。
座席を離してほしい。
できれば間に一般のお客さんを挟んで、物理的に距離を取ってほしい。
そんなことを、旅行会社にお願いしていました。
今の感覚からすると、大げさに聞こえるかもしれません。
でも、20年以上前の学校現場では、そういう心配はかなり現実的でした。
理由は単純です。
他校の生徒と同じ空間にいるだけで、喧嘩が起きるかもしれなかったからです。
昔の高校生にとって、世界はもう少し狭かった
当時は、今のようなSNSがありませんでした。
スマートフォンもありません。
高校生にとっての世界は、今よりずっと狭かったのだと思います。
自分の学校。
自分の地域。
自分の仲間。
その外側にいる相手は、どこか「敵」のように見えていたのかもしれません。
「あいつらより、俺たちのほうが上だ」
そういう感覚を、喧嘩や威圧で示そうとする生徒がいました。
強く見られたい。
なめられたくない。
仲間の中で自分の位置を守りたい。
そういう気持ちが、かなり分かりやすい形で外に出ていたのだと思います。
髪型。
服装。
態度。
言葉づかい。
先生への反抗。
他校の生徒との張り合い。
そうしたものが、自分の存在を示す手段になっていました。
今は、喧嘩より先にSNSが出てくる
ところが今は、かなり様子が違います。
少なくとも私の目に見える範囲では、見た目だけで明らかに不良だと分かる生徒はほとんどいません。
先生にあからさまに歯向かう生徒も少なくなりました。
他校の生徒と出会ったときも、昔のような緊張感はあまりありません。
むしろ、こんな声が聞こえてくることがあります。
「インスタ、フォローして」
昔なら喧嘩になっていたかもしれない場面で、今の生徒たちはSNSを交換しています。
これは、かなり大きな変化だと思います。
他校の生徒は、もう単純な「敵」ではありません。
同じ空間にいる知らない相手でも、スマホを通してすぐにつながることができます。
相手を威圧するより、アカウントを交換する。
強さを見せるより、つながりを増やす。
そういう感覚に変わってきているのかもしれません。
不良が消えたのではなく、場所を変えた
では、昔の不良はどこに行ったのでしょうか。
私は、不良が完全に消えたとは思っていません。
反抗心がなくなったわけではないと思います。
承認欲求がなくなったわけでもありません。
思春期特有の、やり場のない感情が消えたわけでもないと思います。
ただ、それを表に出す場所が変わったのではないかと感じています。
昔の生徒は、自分の存在を示すために、髪型や服装や態度で表現していました。
先生に反抗する。
他校の生徒と張り合う。
仲間内で強さを見せる。
そういう形で、自分を出していたのだと思います。
でも今の生徒には、スマートフォンがあります。
SNSがあります。
自分を見せる場所が、学校の中だけではなくなりました。
先生に歯向かわなくても、自分の考えを投稿できます。
他校の生徒と喧嘩しなくても、フォロワー数や投稿への反応で、自分の存在を確認できます。
教室の中で目立たなくても、スマホの中で別の自分を作ることができます。
そう考えると、昔のような「見える不良」が減った理由の一つに、SNSの存在はかなり大きいのではないかと思います。
見えやすかった時代と、見えにくい時代
ただし、これは単純に良いことだとは言い切れません。
昔は、荒れている生徒は見えやすかった。
服装が乱れる。
授業中に反抗する。
教師に強い言葉を返す。
廊下で目立つ行動をする。
しんどさや怒りが、外に出ていました。
もちろん、対応は大変でした。
教師としても、かなり神経を使いました。
でも、少なくとも見えやすかったのです。
「この子は今、荒れている」
「何か抱えているのかもしれない」
そう気づくきっかけが、外側にありました。
今は違います。
生徒は静かです。
表面上は大きな問題を起こしません。
先生に強く反抗するわけでもありません。
でも、その内側で何を抱えているのかは、昔より見えにくくなっている気がします。
反抗が消えたのではなく、スマホの中に移動した。
喧嘩が消えたのではなく、別の形の競争や孤立に変わった。
先生への反発が消えたのではなく、表に出さないだけになった。
そう考えると、今の生徒たちが昔より扱いやすくなったと、単純には言えません。
むしろ、見えにくくなった分だけ、難しくなっている部分もあると思います。
静けさの中にあるもの
昔の不良は、分かりやすかった。
怒っている。
反抗している。
目立ちたい。
強く見られたい。
そういう感情が、外に出ていました。
今の生徒は、もっと静かです。
でも、その静けさの中に、別の苦しさがあるのかもしれません。
教師としては、そこを見落としてはいけないと感じています。
昔のような不良がいなくなったからといって、生徒たちが満たされているとは限りません。
荒れなくなったからといって、悩みがなくなったわけでもありません。
ただ、表現の方法が変わった。
居場所が変わった。
承認される場所が、教室からスマホの中へ移った。
私は今、そのように感じています。
大人しくなったように見えるだけかもしれない
教育現場にいる方に聞いてみたいです。
みなさんの学校でも、「見える不良」は減っていますか。
そして、その代わりに、生徒のしんどさや反抗心はどこに出ていると感じますか。
保護者の方にも聞いてみたいです。
今の子どもたちは、本当に大人しくなったのでしょうか。
それとも、大人には見えにくい場所で、自分の感情を処理するようになっただけなのでしょうか。
私は、後者の部分もかなりあるのではないかと思っています。
だからこそ、見た目の荒れが少なくなったことだけで安心してはいけないのだと思います。
生徒の静けさを、そのまま「問題がない」と受け取らない。
表に出てこない感情にも、できるだけ目を向ける。
昔の不良が消えたように見える時代だからこそ、教師にはそういう見方が必要なのかもしれません。
ぜひ、みなさんの意見も聞かせてください。
それではまた。






